2025/07/04
【前編】UNBOUND GRAVEL 100マイル挑戦記|貧脚だって、やればできる!
プロローグ:そのLINEが、すべての始まりだった
ディスカバーライドは、“等身大”の旅がテーマだ。無理をしない。頑張りすぎない。だからこそ、長く続けられるし、誰かの「やってみたいな」に火をつけられる。わたし(ツッチーこと土谷)自身も、40代の一般サイクリスト。速くもなければ、特別強くもない。けれど、「旅を楽しむ気持ち」だけは、誰にも負けないつもりでやってきた。
そんなある日のこと。
スマホに、けんたさんから一本のLINEが届いた。
「ツッチー、アンバウンド、出てみない?」
「100マイルに、一緒に挑戦しよう」
え?アンバウンド? あの、アメリカ・カンザスのど真ん中で、泥だらけになって走る“世界最大級のグラベルイベント”?
しかも100マイル?って、160キロじゃん…。
画面を見つめたまま、しばらくフリーズする。
……いやいやいや。貧脚だよ? わたしは普段、50キロでも「今日は頑張った」って思ってるのに。
でも、気づけば返信していた。
「出ます!」
不安だった。正直、グラベルを160km完走できるか不安だった。
(なによりも妻に相談しないで出ると言ってしまった・・・ヤバい)
でも同時に、自分の中の何かが動き出した気もしていた。
こうして、「等身大」からだいぶ背伸びした、40代サイクリストの挑戦が始まった──。
2|貧脚ライダー、UNBOUNDという異文化に飛び込む
けんたさんに「出ます!」と返信したものの、正直まだ現実味はなかった。
でも、「やる」と言ってしまった以上、まずは動かないと話にならない。
わたしはすぐにUNBOUND GRAVELの英語サイトにアクセスし、慣れない英文と格闘しながら、100マイルのカテゴリーにエントリーを完了。
確認メールを眺めながら、ふと昨年のことを思い出す。
そういえば、けんたさんが初めてUNBOUNDに挑戦した時の動画がYouTubeにアップされていたっけ。
▼2024年けんたさんの初挑戦動画
軽快なトークの裏で、けんたさんがいかに過酷なレースと格闘していたか、その様子がしっかりと記録されていた。
灼熱の気温、海外レース特有の空気、そして慣れないコース配分。
あの健脚のけんたさんですら「なんとか完走」だったのだ。
──それを、貧脚の俺が…?
気づけば、静かにノートパソコンを閉じていた。
見なかったことにしたかったのかもしれない。
でも、もうエントリーは済ませた。(100マイルのエントリー費$260=約38,000円)
もう、戻れない。
■UNBOUND GRAVELとは?
UNBOUND GRAVEL(主催:LIFE TIME)は、アメリカ・カンザス州エンポリアで毎年6月に開催される、世界最大級のグラベルイベント。
2006年にスタートし、今では5,000人を超えるサイクリストが世界中から集まる国際的な一大イベントに成長。
グラベルバイクを愛する人々にとって、“一度は走ってみたい憧れの舞台”として知られている。
▼2024 UNBOUND Gravel | RACE HIGHLIGHTS
参加者は、自身のレベルや挑戦の度合いに応じて距離を選べる。主なカテゴリは以下のとおり:
・50マイル(約80km):グラベルイベント初心者や、完走を第一に楽しみたい方向け。
・100マイル(約160km):適度な難易度と達成感を兼ね備えた人気カテゴリー。
・200マイル(約320km):UNBOUNDの代名詞ともいえる“王道”距離で、世界中のトップライダーがしのぎを削る本格派レース。
・XL(350マイル/約560km):超ロングカテゴリーで夜を徹して走る覚悟が求められる、過酷を極めたチャレンジ。
今回、わたしが挑戦するのは、そのなかでは比較的「短い」とされる100マイルの部門。
……とはいえ、ぜんぜん甘くない。
灼熱の太陽、突風、スコール、そして最大の難敵──「ピーナツバター」と呼ばれる泥。
この粘土のようなぬかるみがタイヤにまとわりつき、バイクを止め、心を試してくる。
体力の消耗はすさまじく、途中でバイクを押して歩くのも日常茶飯事らしい。
しかもこのレースには、「補給所」という概念がほぼ存在しない。
UNBOUND GRAVEL最大の特徴、それは「セルフサポート(自己完結)」の哲学。
補給も修理も、すべて自力。
水は最低2リットル以上の携行が必須。
タイヤブート、マルチツール、スペアチューブ、補給食──すべてを装備して走り切るのが大前提。
途中でトラブルに見舞われても、「誰かが助けてくれる」なんて、幻想にすぎない。
つまりこれは、ただの「長距離レース」ではない。
自然と向き合い、自分の弱さと対峙しながら走る、人生の旅なのだ。
ぜんぜん等身大の旅じゃない・・・・わたしは再びパソコンをそっと閉じた。
不安と興奮が、胸のなかでゆっくりと入り混じっていく。
3|出発:片道2日、遠すぎるアメリカ・カンザスへの道のり
今回は、日本を代表する自転車タイヤメーカー・パナレーサー株式会社の皆さんと一緒に渡航させてもらうことになった。
飛行機の手配からレンタカー、宿泊先に至るまで、すべてサポートしていただき、本当にありがたかった。
これ以上ない心強い体制での遠征。おかげでわたしは“準備に集中”できる──はず、だった。
けれど、現実はそんなに甘くない。
エントリーを済ませてから出発までの半年間、
仕事に、そして子育てに追われる日々のなかで、乗れた距離は月に200km程度。
まともなロングライドは数えるほど。
やるべき筋トレも、インドアトレーナーも、何度スケジュールに「やる」って書いたことか…。
結局、不安だけが募る中、出発の日を迎えることになった。
今回の飛行機輪行では、トランジット(乗り継ぎ)もあるため、信頼と実績のあるシーコン・エアロコンフォートプラス3.0を使用。
この輪行バッグは、フレームを固定したまま収納できるうえに、比較的軽量で取り回しもラク。過酷な海外遠征では頼もしい相棒だ。
羽田空港では特にトラブルもなく、スムーズにバイクを預けることができた。
台湾などへの輪行経験もあったので、タイヤの空気を抜いたり、パーツの保護をしたりといった準備はお手のもの。
“緊張”よりも“手慣れ”が勝っていたのは、ちょっとした成長かもしれない。
今回はデルタ航空で、まずは羽田からデトロイトまで約11時間のフライト。
映画を観たり、ウトウトしたり、時差ボケと軽く戦ったりしているうちに、ようやくアメリカ本土が見えてきた。
デトロイトでは長めのトランジット。
眠い頭で空港内をふらふら歩き回っていたが、目が覚めたのは物価の高さだった。
円安の影響に加えて、空港という特殊なロケーション。
ラップサンドがひとつで約1,600円…。
日本の感覚で「軽く何か食べよう」と立ち寄っただけなのに、レジで表示された金額に思わずフリーズした。
結局、手が出せたのは、そのサラップサンドとコーヒーくらい。
「エネルギー補給」というより、「これは記念食」だなと思いながら、硬めのパンを噛み締めた。
デトロイトからさらに約2時間のフライトで、ようやくカンザスシティ国際空港に到着。
現地時間で、すでに夜9時をまわっていた。
この日は、空港近くのホテルにレンタカーで移動して1泊。
翌日は、そのレンタカーで最終目的地エンポリアまで約200kmのドライブが待っている。
だからこそ、早めに休もうとベッドに入った……はずが、
時差ぼけと興奮でまったく眠れない。
体は疲れているのに、心はすでに走り出しているようだった。
4|エンポリア到着と準備の日々
羽田を出発してから実に2日がかりで、ようやくUNBOUND GRAVELの舞台──カンザス州エンポリアに到着した。
宿泊先は、パナレーサーチームが毎年借りている一軒家。
街の中心に近く、イベント会場まではバイクで10分程度という好立地。
広々としたリビングとキッチンがあり、生活拠点としては申し分ない。
しかも、毎日の食事はなんとパナレーサーの大和社長による手料理!
ハンバーガー、パスタ、カレー、肉──まさにアメリカ遠征らしい豪快なラインナップ。
それでいて、味も本格派。「おかわりあるよ〜!」の声に誘われ、ついフォークが止まらなくなる。
まるで毎日がカーボローディングパーティー。
イベント前の調整として、まずは“胃袋をアメリカ仕様にトレーニング”する日々が始まった。
翌日、さっそく裏庭に道具を広げてバイクの組み立て作業を開始。
ガレージではなく、芝生の上で作業するこのスタイルがなんともアメリカらしい。
それぞれがケースを開き、自分のペースで黙々と作業を進めていく。
幸い、輸送中のダメージもなく、パーツの取り付けやディスクブレーキの調整もスムーズに完了。
今回、けんたさんはキャノンデールの最新グラベルバイク「SuperX LAB71」。
軽量かつ高剛性なカーボンフレームに、圧倒的な剛性感と正確なハンドリングを実現する設計が施された、レーシンググラベルバイクのハイエンドモデルだ。
レース仕様ながらも、悪路での安定性と反応のよさを両立し、100マイル超の過酷なグラベルレースにも対応するスペックを誇る。
そして、けんたさんのバイクは艶やかなディープブラックをベースに、ブルーのアクセントが浮かび上がるように配されたフレームは、どこか近未来的な雰囲気すら漂わせていて、とにかくスタイリッシュでかっこいい。(上記写真のフレームカラーはBlack Marble)
ただし、組み上がったのは出発前日。試走距離は……1km!
一方のわたしは、キャノンデール(株式会社インターテック)からお借りした「Topstone Carbon 3」。
グラベルライドに必要な快適性と走破性を兼ね備えた、万能型の一台だ。
フレームは軽量なカーボン製で、キャノンデール独自の「Kingpinサスペンション」が路面の衝撃をしなやかに吸収。
ドライブトレインにはシマノGRX 2×11速を搭載し、アップダウンの続くロングライドでもしっかり対応してくれる安心感がある。
初心者からベテランまで幅広く使える、まさに“頼れるグラベルバイク”だった。
しかしながら、こちらも渡航の2日前に届いたばかりで、試走はわずか5km。
2人ともぶっつけ本番。大丈夫かよ!──って、いやほんと、笑いごとじゃない。
初めての地、初めての大会、そしてほぼ初見のバイクで100マイル…。
我ながら、なかなか攻めた準備状態だ。
とはいえ、バイクは最高の仕上がり。
2人の足元を支えるのは、パナレーサーの「グラベルキング X1(700×45C)」。
しかも今回は、2025年限定カラーの「ハニーバター」を装着。
淡いベージュ系のサイドカラーが、エンポリアの風景にやさしく映え、見た目も走りも抜群。
そのまま試走を兼ねてエンポリアの街を軽くライド。
道を走っているだけで、すれ違いざまに「Hi」と声をかけられる。
この街全体でライダーを歓迎する空気が、なんとも心地いい。
途中、街の中心部にあるカフェ「Gravel City Roasters」に立ち寄って、ひと息。
バイクを店先に並べて、オレンジのチェアに腰を下ろし、冷たいアイスラテをひと口。
ここだけ時間がゆっくり流れているような、静かなリラックスタイムだった。
気候はどことなく夏の北海道のような乾いた空気。
でも、日差しの強さはアメリカ仕様。肌がじりじり焼かれていく。
日陰があるって、なんてありがたいんだろう。
街のあちこちで、バイクを整備する人、ウェア姿で歩くライダーたち。
エンポリアの空気はすでに「UNBOUND一色」だった。
街を走りながら、ふと実感する。
「ああ、本当に来たんだな、わたしが」
UNBOUNDという夢の舞台に立つ日が、確実に近づいている。
5|ゼッケン受け取りとEXPO会場の熱気
ゼッケン会場は、街の中心にある
COUNTY HISTORY CENTER(郡の歴史センター)の3階。
レンガ造りのクラシックな外観に、木の梁がむき出しのレトロな内装──
まるで歴史博物館のような空間に、「100 MILE」「200 MILE」といったサインがぶら下がっている。
事前に届いていた引換メールのQRコードをボランティアに提示すると、ものの数秒でゼッケンキットが手渡された。
中には、参加Tシャツ、ソックス、ゼッケン、案内資料などがぎっしり。
手にした瞬間、気持ちがふわっと高ぶる。
やっぱり、この「ゼッケンを受け取る」という瞬間は特別だ。
ゼッケンは、ハンドルバーのフロントに取り付けるタイプの1枚もの。
素材はしっかりしていて、防水性も高そう。さすが世界最大のレース、細部まで考え抜かれている。
よく見ると、ゼッケンの上部には小さな切り込みが入っていた。
これは、取り付けた際にブレーキやシフトワイヤーと干渉しないようにするための工夫だという。
実際に装着してみると、その意味がよくわかる。こういう気配り、地味だけどありがたい。
そしてもうひとつ──
ゼッケンの下部には「BEER」と「FOOD/DRINK $12」の文字が!
なんとこれは、フィニッシュ後の乾杯ビールとフードの引換券なのだ。
走り切ったあとに、これで乾杯できるのかと思うと、それだけでテンションが上がってしまう。
……これだけは、絶対になくせない。
建物を出ると、目の前では EXPOが開催されていた。
今年は200を超えるブランドや団体が出展しており、昨年の倍規模というから驚きだ。
UNBOUNDが“世界最大のグラベルイベント”と呼ばれる理由が、まさにこの会場に詰まっている。
ちなみに、EXPO2025の開催スケジュールは以下のとおり:
・5月29日(木)13:00〜18:00(大会前々日)
・5月30日(金)10:00〜17:00(大会前日)
会場を歩いていると、VENTUMやSCARABなど、日本ではなかなかお目にかかれないブランドが並んでいて、まるで海外のバイクショップ巡りをしているような気分。
テンションが上がらないわけがない。
イベントのオフィシャルグッズコーナーには、帽子、Tシャツやバイクボトルをはじめ、さまざまなUNBOUNDアイテムがずらり。
なかでも目を引いたのは、UNBOUNDロゴ入りデニムジャケット($140)。
「高いけど……かっこいい!」と物欲が騒ぐ。
もちろん、Panaracer(パナレーサー)もブースを展開中。
今年の目玉は、グラベルキング X1の限定カラー「ハニーバター」と「クランベリー」。
わたしたちのバイクに装着されている「ハニーバター」を見て、
「これカワイイ!」「どこで買えるの?」と話しかけてくるライダーの姿も。
ブースの前でタイヤをじっくり眺める人たちの様子に、
ちょっと誇らしい気持ちになった。
日本発のプロダクトが、こうして世界のグラベルファンに支持されているのを肌で感じられた瞬間だった。
そんな中、けんたさんが長時間滞在していたのが、MOOSEPAKS(ムースパックス)のブース。
カラフルで遊び心あるデザインが目を引くこのブランドは、2015年にノースカロライナ州ブーンで創業されたバイクパッキング専門メーカー。
創業者Matt Moosaさんが、自転車通勤用に自作したバッグがきっかけで、今も少数精鋭でハンドメイドを続けている。
けんたさん、最終的には迷いに迷って、フル装備を大人買い。
ふだんは静かな田舎街・エンポリア。
でもUNBOUNDが開催される期間だけは、街全体がお祭りモードに包まれる。
笑い声、音楽、拍手、ハイタッチ、興奮──
EXPO会場に立つと、UNBOUND GRAVELは単なるレースではなく、この街の文化であり、誇りなんだと実感する。
ここまで来たら、あとはもう走るだけ。
6|最終調整はプロライダーと!?
大会前日、なんとプロライダーとの試走という夢のような展開が待っていた。
お相手は、今回のUNBOUND GRAVELで200マイル部門に出場する阿部嵩之選手(ヴェロリアン所属)。
阿部選手は、同じく日本から遠征してきた参加メンバーの一人で、現地でも気さくに話しかけてくれる頼れる存在。
そんな阿部選手と20kmほどのグラベルを一緒に走らせてもらえることになったのだ。
「せっかくだし、軽く流しましょう」と阿部選手。
その声は穏やかで優しいけれど、脚はまったく優しくなかった。
阿部選手にとっては軽めに流して調整するサイクリング程度の強度。
一方のわたしはというと、2日前に届いたバイク&ぶっつけ本番スタイルのまま、プロの背中を必死で追いかける展開に。
会話? いやもう、呼吸を整えるのに精いっぱい。相づちすら「ハァッ…はいっ」がやっと。
グラベルの一本道を並んで走る。
片側には水田、もう一方には草原が広がり、どこまでも空が続いていた。
こんな風景の中でプロライダーと並走する──これが特別な時間じゃないはずがない。
とはいえ、心のどこかでこんな不安もよぎる。
「これ、もし千切れたら……カンザスの荒野で一人迷子コースなのでは!?」
その想像がリアルすぎて、脚にも変な力が入ってしまう。
なんとか必死に食らいつき、なんとか帰ってこれた。
20kmが、こんなに長く感じたのは初めてだった。
でも、最高の体験だった。
本番前に、こんな“特別な時間”が訪れるとは──
UNBOUND GRAVEL、やっぱりスゴい。
……とはいえ、正直ちょっと出し切ってしまった感は否めない。
これも貴重な経験、そしてこれこそ「最終調整」ってことにしておこう。
あとはもう、イベント本番前に筋肉痛が来ないことを祈るのみ。