自転車を携えて日本中世界中へ。
皆さんの自転車旅についてお話を聞きました。
- 二人乗りタンデム自転車木村和平選手・三浦生誠選手
- 通常の二輪自転車川本翔大選手・藤田征樹選手
- 三輪自転車(トライシクル)福井万葉選手
- ハンドサイクル島田一彦さん・松本亘さん
パラサイクリングのクラスについてClass B:二人乗りタンデム自転車
前に健常の選手(パイロット)、後ろに視覚障害の選手(ストーカー)が乗るタンデム自転車は、2人分のシートとハンドルが設置されている大きな車体が特徴的。自転車を通じ2人で細かな動きをシンクロさせながら走ります。
木村和平選手(視覚障がい/ストーカー)
サッカーを愛するタンデムサイクリスト。高校1年まで健常者に交じってサッカーを行うも、視覚障がい(弱視)から、盲学校へ進学。パラサイクリングに出会い自転車競技の道へ。海外大会で多数の優勝歴を持つ。
――パラサイクリングの自転車をはじめようと思ったきっかけについて教えてください
(タンデムのチーム内では)僕自身が視覚障がいなんですけども、実は生まれつきの弱視だと気づかずに、ずっと高校生までサッカーをやっていました。
サッカーをやっていた時、たまたま「ボールがここにあるな」と思っていたら全然違うところにあった、ということがきっかけで、調べてみたら実は視覚障がいがあるとわかりました。その後視力が段々落ちてきたんです。
それにともなって色々なことができなくなっていきました。
視覚障がい者と認定されて障がい者になるわけですけど、以前は地元で乗れていた自転車に乗れない、サッカーもできない、いろいろできなくなってしまって。
その時、盲学校の存在を知り、高校を卒業して盲学校に進みました。盲学校で生活している中で、たまたまパラサイクリングの自転車の体験会に参加しました。
初めて参加した自転車の体験会は、リオパラリンピックが終わった後の選手の発掘として、パラサイクリング連盟が開催しているイベントでした。
そこでタンデム自転車に乗ったら、自転車に乗って遊ぶこと、実際に自分がランニングで走るのとはまた違う楽しさをもう一度取り戻せた感覚になりました。
高校時代はいわゆるママチャリに乗っていましたが、視覚障がいとなったら危なくて乗らなくなっていました。それでそのあと初めて乗ったのが自転車体験会で乗ったタンデム自転車でした。
すごく楽しかったというのの他にも、障がいで失ってきたものの中で、初めて人の手助けを借りると、こういうことができるようになるんだ、取り戻せるんだという感覚だったのが、一番の魅力をその時に感じて興味を持ち始めました。
そこで当時監督だった権丈さんに「本気で目指さないか」と声をかけてもらって、それからどんどん競技にのめりこんでいきました。
権丈泰巳さん(日本パラサインクリング連盟)
現在活躍する多くのアスリートを発掘・育成したパラサイクリングの元監督(現在監督は引退)。現在は日本パラサイクリングの広報や発信に注力している。
――タンデムのバイクに初めて乗った時、一番大きく感じたことって何ですか。
やっぱり風です。風が体に当たってくる感じはランニングでは味わえない。
スピード感は自転車特有のもので、やっぱりうれしかったです。ただただ楽しい。
今となっては、同乗者2人で作り上げていくというのも、タンデムの魅力の1つだと思うんですが、その時は乗った瞬間に「面白い」って感じました。それだけです。
三浦生誠選手(タンデム競技/パイロット)
タンデム一筋の日本記録保持者。大学の競技からパラサイクリングへ。新しい舞台にも果敢に挑戦する、世界と戦う若きパイロット。
――三浦選手に伺います。タンデムのパイロット(前方)をやり始めたきっかけについて教えてください。
日本大学1年生の時から、タンデムスプリントという競技のパイロットをやっていました。
タンデムスプリントというのはパラサイクリングではなく、健常の学生だけの競技です。
大学進学する理由もタンデムスプリントをやりたくて、専門でやっていこうと決めていました。
木村選手と前のパイロットの倉林さんが出場していらした群馬県前橋の全日本選手権で、コーチと大学のOBの権丈さんにご挨拶する機会がありました。
その時権丈さんに「来月に伊豆で行なわれる予定の合宿に倉林さんがいらっしゃれないので、臨時のパイロットを探しています。参加してみませんか。」と誘っていただき、合宿に参加しました。
翌年大学2年生になって、改めてサイクリング連盟の方にお声をかけていただきました。倉林さんが正式に引退すること、これまで中長距離でやってきた木村さんは東京オリンピックに向け短距離に転向するので短距離のパイロットを探している。再度もう一度パイロットをやらないかというお話をいただきました。
2人乗りの乗り物がとても好きで、興味もあって、いろんなことをやってみたかったのでぜひお願いしますという形で始まりました。
もともとタンデムの知見・経験があり、倉林さんの引退をきっかけに本格的にパラサイクリングをされるようになったんですね。運命的な出会いですね。きっかけは出会いですね。
そうですね。
一緒にやってくれる人が誰もいなかったのもありますね(笑)
いやいや。ご縁大切ですよ(笑)
――国内・海外に行く際、タンデム自転車はどうやって運ぶのでしょうか?
飛行機や電車に載せる時、袋や段ボール箱にパッキングして、工夫しながら持っていくのが自転車輪行ですが、パラサイクリングの中でも、特徴あるタンデムはどうやって運んでいるんでしょうか?
120万円くらいですよね、フレームだけで… 僕がキャビンだったら気を使いそうだなあ。
基本もうメカニック任せなんですが…タンデムは長いので段ボールも長いものを特注で作って、タイヤやハンドル、ホイールなど外せるものを全部外してパッキングしています。
段ボール輪行は基本海外へ行く飛行機輪行のときですね。国内なら、ハイエースに積んでそのまま持っていくこともあります。僕ら二人が担いでいくということはないですね。積み込みはみんなでやることもあります。
トラック用のバイクはシンプルですよね。ギアがシングルなので。ロードになるとディレーラー(変速機)もあるから少し複雑そうですが、さほど変わりないものなんですね。
詳しいことは、メカニックに聞いてもらった方がいいかもしれないですね…
そうですよね。詳しいことは「タンデム メカニック」で検索とかですね。
何にも出てこないと思うけど(笑)
――海外遠征で行った思い出の場所はありますか?
大きな大会ではないのですが、以前のパイロットである倉林さんと、中距離を目指していた時に行ったポーランドが思い出に残っています。
大きな大会ではなく、ローカルなステージレースです。基本パラサイクリングってステージレースではないんですけれど、そのポーランドの大会は、タンデムだけでステージレースをやっています。
すごいですね…
UCIのレースではないので参加してもポイントは入らないんです。そうなると日本からの選手はあまり来てくれない。ただポーランドの大会は親日国ということもあって、僕たちが日本からきたことにとても喜んでくださいました。
今思うと海外の旅行に近いようなスケジュールで、コンパクトな大会だし、明らかに選手じゃないおじさんもいるし、食事も競技向けというより普通の観光のご飯みたいなものが出たんですけれど、大会も地域をあげて盛り上がってるという雰囲気で、すごく思い出に残っています。
ステージレースなのできついはきついです。でも、みんなで作り上げたいっていう雰囲気や、ヨーロッパの自転車文化はすすんでいるなあって感じました。
自転車文化というのは、自転車が身近で市民権があるとか、そういうことでしょうか?
そうですね、応援している人も多かったです。
日本じゃそもそもパラサイクリング、その中のタンデムとなるとそもそもが小さい規模ですが、一方ポーランドはパイロットも多いしストーカーも多い。
視覚障がいの人がそれだけ自転車に乗っている。
日本だったら視覚障がいで自転車に乗ることはほとんどないですが、それだけの文化がなくて、それをサポートする体制がついていってない、ということなんだなとわかりました。面白かった。
今でいうところのサイクルツーリズム。街全体をつかってきてもらおうみたいな感じですね。おいしいものも食べたんですね。
料理もおいしかったです。もてなしていただいて、観光地にも連れて行ってくれました。ステージレースが終わったから行こうぜ、って感じで。
きれいなところなんですね。僕もポーランドにはいったことがないなあ。次回のディスカバーライドでぜひ。
なんでポーランドなんだってなっちゃいますね。
ウクライナの南部にあって、ロシアの学生も来てました。近いんですよね。今はどうなっているのかちょっとわからないのですが。
三浦選手はいかがですか。思い出に残っている場所とかありますか?
僕は去年からパイロットになって、まだ4カ国にしか行ったことはないんですけども、一番最初に行った去年のフランスの世界選手権が印象的でした。
フランスのサン=カンタン=アン=イヴリーヌです。
パリオリンピック・パラリンピックの自転車競技ベロドロームの会場になった街です。
初海外・初海外遠征で、行くまではどんな感じかもわかりませんでした。
タンデム競技ってよく現役のオリンピック選手が引退した後、30代後半、若くて20代後半とかの選手がパイロットを勤めることが多いんです。一方自分はそういう経験もないのに、いいのかなって思いつつ参加させてもらいました。
事前に海外選手のタイムは調べていたんですけど、やっぱ実際手にした時に周りとの差を感じました。一番良い結果で1キロの部で5位。その時は悔しいって思いはありつつも、初めて世界で戦ってみて海外選手から刺激がすごくて「今のままじゃダメだ」とか、「もっと強くならなきゃ」ってやる気が出た瞬間でした。
初めましてが、わっと、フランスに集結したんですね。しかし1年で4回も海外遠征に行くんですね。
4カ国いったんですか。
そうですね。
食の相性はいかがでしたか?
いやー、あまりお腹が強い方ではなくて…今までの遠征も、行ったらすぐに体調を崩してしまって…
肉体と合わせて胃のトレーニングも必要なんですね。
水のあうあわないもありますしね。
飲料水は基本買って飲むので、あたることはないんですが。料理に使われる水とかはちょっとわからないんですよね…
今回のインタビューで、おなかを鍛えるという課題が浮き彫りになった形になりました(笑)
――自転車に乗っているよりお話をする時間が長い、とおっしゃっていましたが、どんなことを話されるんですか?
一本走った後に「僕の感覚はこうだった。三浦君の感覚はどうだった?」と二人の感覚をすり合わせる必要があるんです。極端なんですけど、こっち(木村選手)は「めちゃくちゃよかった!」と思っていても、三浦選手は「めちゃくちゃ走りにくかった!」ということもある訳です。そこを二人で話して、じゃあどうやって乗ってみたらいいのかなって会話して作り上げるんです。タンデムに乗り始めた当初は風を感じるだけでもう楽しかったんですけれど、こうやって話をして作り上げるのは今感じている楽しさです。
シンクロした時は気持ちよさそうですね。
そうです。逆に噛み合わないと進まない。
結構バチバチやり合うんですか?
いや、胸倉つかんでこの野郎、みたいなことはないですよ。いたって普通です。喧嘩しだしたら終わりだと思ってます。お互いが相手を尊重しないと難しいと思うので。お互い歩み寄って作る感じです。
それこそ海外の遠征とか、乗っている時間以外も含めて一緒だったりしますか?
そうですね基本的に遠征中の部屋は一緒だし。
僕らも四国で10日間ぐらい一緒だったんですけど、7~8日目くらいからまず会話がめちゃくちゃ減る。
疲労と、「うーんなんかそろそろつっちー飽きたなー」みたいなのが(笑)
ずっと喋ってるわけじゃないですよ。自転車の話もするし、それ以外の話もします。
人間的な相性はやっぱ結構大事ですよ。
基本的に僕は「パイロットのことは絶対好きになる」と、決めてるんです。100%信じないと、疑いながらなんて、それこそ変な力が入っちゃって乗れないです。まずは相手を好きになるってことで。それこそ、どのパイロットも相手のことを知ろうとする。
そうなんだ、俺つっちーのこと好きになれるかなあ(笑)
俺は好きだよ。
照れちゃうなあ。
相手のことを知ろうとするってことですね。
心のギアですね。
俺らのギアはガチャガチャね。
ガチャガチャじゃダメですね。
そこは気を使ってるわけじゃないです。普通のやり取りですね。
確かに乗ってる以上にコミュニケーションをとる時間は長いですよね。
ペダルやハンドルのわずかな動きを通じてお互いの息を合わせるタンデム自転車。
全国の公道走行が解禁となり、これからより身近になることは間違いありません。
仲良くおしゃべりしながら乗れるタンデム自転車の楽しさを知ったら、
ぜひ究極の走りを追い求めるお二人の競技にもぜひ興味を持ってみてくださいね。
パラサイクリングのクラスについてClass C:通常の二輪自転車
四肢の障害の程度によりC1~C5の分類に分かれる。選手との一体感を追求し、それぞれの体に合わせたオーダーメイド仕様の自転車や義肢は自転車が好きなけんたさん・つっちーもくぎ付け。
川本翔大選手(男子C2)
生後2か月で悪性腫瘍のため左足を切断。パラサイクリングに出会った高校生2年生でリオパラリンピックで入賞。シャイを装う(?)一方、けんたさんの動画のサムネイル撮影では誰よりもおちゃらけ、場を盛り上げるコミカルな一面も。
藤田征樹選手(男子C3)
自動車事故により両足のひざ下を切断するも、仲間とともにトライアスロン大会出場することを目指しリハビリや試行錯誤を重ね、義足をつけて自転車に乗りはじめる。4つのパラリンピックに連続出場し5つのメダルを有する日本パラサイクリング界のレジェンド。
――まずは、パラサイクリングの自転車を始めようと思ったきっかけを教えてください。
元々、高校から障がい者野球をやってました。高校3年生の時、先輩に「片足で自転車に乗っている子もいるから、お前も乗れるんじゃないか?」と言ってもらって、大阪でやっていたパラサイクリングの体験会に行ったのが発端です。
パラサイクリングの体験会は選手の発掘事業でもあって、そこで権丈さんと出会いました。それがスタートです。
権丈泰巳さん(日本パラサインクリング連盟)
現在活躍する多くのアスリートを発掘・育成したパラサイクリングの元監督(現在監督は引退)。現在は日本パラサイクリングの広報や発信に注力している。
それまで、ママチャリは持っていました。陸上競技場で普通のロードバイクに乗って、「こんなものなんだな」というくらいでした。
権丈さんにまず「伊豆で合宿をやるので来てみないか」と誘われ、そこからどんどん話が展開して今に至ります(笑)
最初はうまく乗れなくて押してもらったり、引っ張ってもらったりしていたら…
あれよあれよという間にですね。ご縁のパワーと権丈さんのパワーですね。
藤田選手はいかがですか?
だいぶ昔の話になってしまうのですが、元々自転車に乗り始めたのが大学2年生の時です。トライアスロンをやろうとしていてそれが自転車に乗り始めたきっかけでした。
始めて半年くらいで交通事故で脚をなくしちゃって、そこから義足になりました。
それまで大学の仲間と一緒に自転車やトライアスロンをするのがすごく楽しかったので、それができなくなるのがとても嫌で。
その時たまたま義足でトライアスロンに取り組む選手のテレビを見たことがあって、「義足になっても自転車に乗れるんじゃない?」と思ってリハビリに取り組みました。義足ができて、大学の生活に戻った時に自転車にまたがったら「あっ、乗れた」っていう風になって。
じゃ、トライアスロンもまたチャレンジしてみようと。大会もまだ出たことがなかったので、「仲間と一緒に、どんな形になってでも大会に出たい!」と凄く思っていたのがその当時のモチベーションでした。
トライアスロン完走できたら、「もうちょっと速くなりたいな」と思うようになって、自転車の練習としてエンデューロの大会にもで始めました。
そんな中、当時はパラサイクリングって言葉もまだ広がってなかったんですけれども、パラサイクリングのレースがあると教えてもらって。
そこに出場したのがパラサイクリングに関わるようになったきっかけです。
事故に遭う前から元々自転車に乗られていて、それでもやっぱり昔の仲間と同じように走れるようになりたくてパラサイクリングを始められたということですね。実際に乗った時どう感じました?
病院にはエアロバイクがあって、それに乗るリハビリもあったので、何となく「バランスさえ取れたら乗れるんじゃないか」という印象を持っていました。
退院して自分の自転車に戻ってきて、またがったら「あ、乗れるじゃん!」と。たぶんいけるだろうなと思っていたのがそのまま実現できたので、ありがたい、良かったなって思いました。
そこから、クリートを付けたり、やっぱり足を置くだけだと自転車から外れちゃうから、それをどうするかっていうのは、クリアするのに少し時間がかかりました。
その他にも、もちろん速く走るとかはやっぱり難しかったので、どうやったら速く走れるかをいろいろ考えながらやっていました。
自転車が乗れるということが分かった後は、自転車をより快適に乗るためだったり、より早いタイムを出すために試行錯誤をしたんですか。
何よりも、他のみんなについて一緒に走りたい、という気持ちが大きかったです。
――輪行についてはほかのロードバイクとさほど変わりがないのかなとも思いますが、いかがですか?
遠征の時などは、輪行箱等とか使って運ぶんですか?特別な外し方とかありますか?(左脚を入れるカップは)クランクで止まってるんですよね。
カップ部分はスポンと取れるんです。
輪行のやり方はその時々によります。連盟所有の機材や、自転車を強化拠点の伊豆ベロドロームで保管している選手は、メカニックがまとめて梱包して拠点から運搬しています。
遠征の時はみんな段ボールで固めて運んでいますね。
それこそBTBさんですね。
僕は自分で機材を管理して、自分で梱包し空港に持っていってます。輪行バッグをつかうか、輪行箱にするかは国内か海外かなど、遠征の内容にもよりますが、海外遠征の場合は基本的にBTBの輪行箱ですね。
僕らとそんなに変わらないってことですね。
そうですね、ただやっぱりレースに行くために持っていくので、トラブルが起きないっていうことは一番気を付けていますね。
海外遠征などに行くと思いますけど、これまでにトラブル等を経験されたことありますか?例えばパーツがないとか荷物をロスト(紛失)しちゃったとか…
ロストは多々、起こるときは起こっちゃいます。でも、自転車が届かなくて、もう代車で行くしかないとかってほどのことになったことはないですが。
他には、ねじ山が駄目になっちゃって、現地で修理したとかということはあります。
僕らだって輪行して現地に付いたらディレーラーがもげちゃうとか。
トラブルは多々あるよね。
ディレーラーがもげる、ハンガーが折れるとかはありえるので、スペアパーツをメカニックがチームとして持っていくということはもちろんありますし。特別な部品などは自分でスペアを用意して持っていきます。
サドルが壊れたりすることもあるので、その時はスペアのサドルを用意しておいて直しますね。
替えの利かないパーツは、手持ちで持って行くんですか?
自分もこのカップは2個ぐらい持っていきますね。
――あちこち行っていらして、ここは最高だったという思い出の場所はありますか?
カナダは遠いんですけれど、風景はよかったですね。ケベック州の北のほう、べ・コモというパラサイクリングの大会がよく開催される町があって、そこはもう4、5回行っています。行くまでにすごく時間がかかるんですが、落ち着いた、景色がきれいな場所です。
現地では少しウオーミングアップで、周辺を走ったりする時間はあったりするんですか。
そうですね、ありますね。
景色見ながらトレーニングも兼ねてやってっていう感じですか?
そうですね。場所場所により独特な風景があります。ベルギーでは、第二次世界大戦のものだと思うのですが、機関砲がずらっとコース脇に並んでいたり。日本ではなかなか見られない風景です。
――トレーニング以外で普段走ることはありますか?
基本的にはあんまりないですね…
オフの日にちょっと走ろうぜみたいなそういうノリはないんです?
自転車に乗れないタイミングがオフになるんですよね。コーチと連絡を取り合って、この日は自転車に乗れないからオフにしましょう、みたいな。
逆に、乗っちゃダメ、休みなさい。みたいな感じなんですかね。
ちゃんと休んだ方がいいんでしょうね。予定があって練習できない日がオフになると、その日以外にトレーニングを組むという感じになります。
結局選手の皆さん、普段は乗らないってことですね。
オフの日まで乗ってると、家族がいると…家のことがほったらかしになります。
大変なことになりますね。家庭内が大事故になりますからね。気をつけてください。
我々も一生懸命”家族マイル”を貯めてますからね。
子どもとときどき一緒に自転車に乗ったりすることはありますね。
――逆にけんたさんに質問はありますか?
日本でどこかおすすめのいいところはありますか?走って、景色もよくて、ご飯もおいしいとかってところ。
島はめっちゃいいですね、基本。佐渡や高知、伊豆大島とか、日本の島は基本どこ走っても最高です。高いビルがないし、フェリーに乗って行くときは、フェリーに乗る瞬間から「旅の始まり」って感じでワクワクします。
着いたら着いた時は「うわぁっ」って感じで。乗っている時間以外の時間もすごい楽しくてワクワクさせてくれます。もちろん走りやすさやご飯のおいしさ、景色も含めてトータル的にめっちゃいいんです。
最近、僕は釣りをやりはじめてたんですけど、奥が深すぎてやばいなあって思ってるんですけど、今度は三宅島で釣りをしたいと思ってます。
けんたさんは佐渡によく行ってますよね?
佐渡1周は何回もしてますね。次は釣り竿をもっていって、魚が釣れたら、民宿のお母さん、お父さんにさばいてもらうとかできたらいいなと思ってます。
最後はなにやら世間話に落ち着きましたが(笑)実際のお二人も自然体そのもの。
一方、競技となると一転、人間と自転車の究極の形を追い求める姿はしびれるほどのカッコよさ。
今後も日本のパラサイクリング界をけん引するお二人の活躍を楽しみにしています。
パラサイクリングのクラスについてClass T:三輪自転車(トライシクル)
重度の四肢障害クラス。T1〜T2の分類に分かれる。自転車幅があるため、操作テクニックが必要。
福井万葉(男子T2)
先天性の脳性麻痺。高校の時に参加した発掘事業で自転車に出会う。157cm55kgの小柄な体格を生かした上り坂が得意。底抜けに明るい笑顔でチームに愛されるムードメーカー。
――パラサイクリングを始めたきっかけを教えてください。
もともと高校生まで陸上競技をやっていました。高校生1年生の時に出た大会で、パラリンピックの選手発掘事業を同時開催していたので参加してみたのがきっかけです。トライシクルに乗ったのも、選手発掘事業が初めてでした。初めてトライシクルに乗った時、「軽くて速い」と思いました。
先ほど乗らせてもらって、すごくわかりました。軽くて速い!
高校生までは、移動のためにいわゆる三輪自転車、街中でおじいちゃんおばあちゃんが乗っているようなものに乗っていました。それと比べても、まあ全然早い。
あれは…重いよねえ、鉄の塊だもんな…
安全性第1の乗り物ですよね。荷物はたくさん載せられるけど…
軽くて速くて、楽しいっていうのが一番最初にありました。今乗っているトライシクルはだいたい12〜13㎏くらいかな、測ったことはないですけれど。
街中の三輪自転車は20kgくらいあるんじゃないだろうか。
普段は街乗りの三輪自転車でトレーニングしてたりしてるんですか(笑)?
それはないです(笑)
使っている機材、ハイスペックですよね。デュラエースですもん。
――海外遠征の輪行ってどうやるんですか?
基本的に全部ばらせます。
トライシクルのアダプター(一般的なロードのフレームに設置して、トライシクルの後輪2輪部分の機構を作る部品)はボルトで止まっています。
ボルトを外せばフレームとトライシクルは外れるので全部ばらして運ぶ感じです。
トライシクルのアダプターに「トライキット2」って書いてありますね。
アダプターは海外で作っていて、イギリス製なんです。
どんな自転車にも取り付けてトライシクルにできるようにつくられたのがこのキットです。この構成であればばらしやすくて持ち運びやすい。
つくれるところがほとんどないんですよね。
権丈泰巳さん(日本パラサインクリング連盟)
現在活躍する多くのアスリートを発掘・育成したパラサイクリングの元監督(現在監督は引退)。現在は日本パラサイクリングの広報や発信に注力している。
――海外に何度も遠征でもいらして、思い出に残っている場所はありますか?
海外遠征にも結構いらしているんですよね。
今年は三回ほど行かせていただきました。最初はイタリアに行ったんですけど、イタリアはおいしいものが多くて、良かったですね。
人も陽気ですしね。
海外行った先で、大会前街中を走ることってあるんですか。
試走でコースの中をぐるぐる走ることはありますね。そうやって心拍をあげたりとか。
FUJIのバイク(フレーム)はご自身のですか?
提供していただいたものです。
今後、走ってみたいところってありますか?
そうですね。やっぱり本場で言うとフランスですね。
いいですよね、俺も行ってみたいんだよなあ。
――トライシクルでヒルクライムってできるんですか?
やってみたことあります。僕は二輪の感覚がないので比べることができないんですけれど、登れますよ。
今僕も乗った感覚だと、バランス感覚だけ違えどそれほど大差ないなと感じました。
ヒルクライムというとどのくらいの距離を登られたんですか?
赤城山ヒルクライムに13kmのコースだったかな、獲得標高は1000mくらいだったんですけれど、大変でした(笑)
一見重そうに見えるんですけど、乗り方さえ覚えれば軽いんですよ。ヒルクライムもそんなに問題ないかもしれないです。
フランス行った時の感想もぜひまたいつか聞かせてほしいですね。
ご飯がおいしかったとか、女の子がかわいかったとかね(笑)
終始明るい笑顔で周囲を和ませる福井選手。小柄な体を目いっぱい倒した、攻めたコーナリングが対照的でした。
福井選手同様、見た目と走行の印象が全然違うトライシクルは、乗ってみないとわからない面白さがあり、
軽さを追い求めがちな2輪車とはまた違う構造にも興味は尽きませんでした。
動画を見て興味を持ったならぜひ一度、体験することをおススメします!
パラサイクリングのクラスについてClass H:ハンドサイクル
障害の程度によりH1~H5の分類があります。タイムトライアル、ロードレース、チームリレーなどの種目で競います。
島田一彦(H4)
2018年開催日本パラサイクリング選手権ロード大会ハンドバイククラス2位などの記録を持つ(現在選手活動は引退)。松本さんをハンドサイクルに引き合わせた先輩。優しい笑顔の一方、当時ハンドサイクル初心者の松本さんを100km越えの離島ロングライドに連れ出すハードさを併せ持つ。
松本亘(MH3)
島田さんのすすめでハンドサイクルに出会い、佐渡一周や真冬の霞ケ浦200km走破などを成し遂げ、競技の道へ。2019年開催全日本選手権ロード大会 Hクラス優勝などの記録を持つ(現在選手活動は引退)。
事前にハンドサイクルに乗車する体験をしてみて、どうでしたか?
楽しい!なかなか乗れる機会がないですね。自転車ではあるんですけれど、乗り物として全く別物でした。視点も違うし。
普段使わない筋肉使ってましたね。疲労でパンパンになりそう。
間違いなくなりますね(笑)
平地は惰性で走れるものですか?
すでにスピードが出ていれば、そうですね。
ただ、基本は漕ぎっぱなしですね、少し力のかけ方を変えたりとかはしますが。
そういう意味ではロードと同じですね。
乗り方は、普通の自転車と同じですね。
――トライシクルでヒルクライムってできるんですか?
僕の場合はもう僕が始める前に地元の先輩が何人かもう既に始めていて、その走ってる姿を見て気持ちよさそうで、僕も一緒に走ってみたいと思ったのが始めたのがきっかけです。
初めてハンドサイクルに乗られたとき、どう思われましたか。
やっぱり、風を感じました、自分でトルクを掛けて、その回したスピードが風となって感じられたっていうのが凄く気持ち良くて、楽しかったっていうのが最初の印象です。
先ほど(木村選手のインタビューでも)風というキーワードがでていました。やはり風なんですね。
普段とは違うスピードですよね。
そうですよね。普段使い用の車椅子で乗っている風とはまた違うスピードが出てる風っていうのはやっぱり気持ちいいじゃないですか。
「これってちょっとハマっちゃうかもね」って。
そこからもうググっとのめりこんでいったんですね。
そうですね。
松本さんいかがですか。
僕は実は島田さんからの紹介です。まず最初体験させてもらって、その時乗った島田さんのバイクを買ってゆずってもらったのがきっかけです。
もともと僕、車いすバスケをずっとやっていました。車いすバスケはもうそろそろ年齢的に限界だし、ちょっと別の趣味にしようかなと思って。
最初はアタッチメントタイプのアダプターって言われる自転車(普段使い用の車椅子に、前輪とクランクなどを取り付けるタイプのハンドサイクル)に乗ってたんですけども、もう少し早いのに乗りたいなと思っていたところ、ちょうど島田さんから「身体に合いそうな自転車があるよ」と勧めてもらいました。
乗ってみたら、やっぱり風じゃないですけど、そのスピード感と自分の力である程度スピードを出して進めるというのが面白くて、あっという間にのめり込んでしまいました。
それこそ最初に乗り始めた時、恐怖とかもありました?
恐怖心はあんまりなかったですね。やっぱりずっと一緒に走ってくれている方がいたので。全然安全に走れました。コケたりとかはあるんですけれども、それでもやっぱり怖いと思ったことはあまりないですね。
普段はお二人で、他のハンドサイクル仲間と走ったりしますか?それともソロが多いですか?
以前は週末とかに3~4人で走ってましたが、最近は僕は一人で走ってますね。
僕はたまたま近くにレジェンドみたいな方がいらっしゃるので、その人と毎朝ほぼ一緒に霞ヶ浦を走っています。だいたい火・水・金曜は必ず霞ヶ浦にいますね。
一周するんですか?
昔はぐるっと75キロぐらい大体走ってたんですけど、今はもう暑すぎるというのと、現役が終わってしまったということもあって、40キロから50キロぐらい、アップダウンを走るくらいです。
あそこのあたりは走るのによさそうですよね。
そうですね、車が少ないですし、人もいないし。ただ日なたばっかりで日陰が一切ないんですよ(笑)
さっきのハンドサイクル体験の様子を見ていても、熱と光が上から・下から、もうサンドウィッチ状態ですよね。
――海外遠征もありましたか?
そうですね。僕は海外遠征の経験もあります。
その場合はご自身のバイクを輪行するんですよね。
そうですね。パラサイクリング連盟から借りたバイクを貸してもらって大会に行っていました。
やはりなるべくコンパクトにするために取れる部品は全部外すんですか?
そうですね。前後ばらしてプラスチック段ボールで作ってその中に入れる。って感じですね。
それこそバイクは特殊じゃないですか。遠征された時にトラブルってありますか?
大きなトラブルはなかったですけど、やっぱり梱包する時はコンポーネントが壊れないように、中にクッション材とか入れたりとかして運びます。
国内とかだと大体車に入れて移動されるんですか?
そうですね。このまま車に載せちゃいます。車椅子も一緒に乗せるので、車椅子に当たってこっちが壊れちゃうと後でバイクのが壊れちゃうと嫌なので。その辺は気をつけてます。
そうなると海外遠征は、まあまあ大仕事になりそうですね。
――サイクリングするときに立ち寄ったりはするんですか?
ハンドサイクルでは一切立ち寄ることができないんですよね…ただ「かすみキッチン」ではハンドサイクルのまま行って、コーヒーを買って、ハンドサイクルに寝そべった状態のままコーヒーを飲むとかはできます。
「かすみキッチン」では対応してくれるんですね。
そうですね「コーヒーおねがいしまーす」っていうと「持っていきますねー」って対応してくれます。
立ち寄れない、となると普段は、補給食を持っているんですか。
そうですね。僕はここに(ハンドル)羊羹とか貼り付けています。
あ、これ飴ですか!
塩分が取れる飴ですね。
後、シートの横に隙間があるんで、お菓子いっぱい入れたりします。
秘密の小部屋ですね(笑)重心を下げるためにもなるべくたくさん持って。
やっぱこういうバイクには、例えば、セラミックベアリングとか、そういうの使ってたりするんですか?回転が軽くなるように、とか。
やってる人はやってますね。
いわゆる機材フェチみたいな感じですね。
こだわってる人はいます。
なるほどね、面白いですね。
国内とか海外を含めてのこの場で何か訪れた場所で何か思い出に残ってるとか、ありますか。
海外初戦で行ったベルギーです。
やっぱり初めてということでめちゃめちゃ緊張しちゃって。
タイムトライアルなんかもう最初からペースも考えず飛ばして行っちゃいましたね。
でも楽しかったです。海外選手と走れたこともあって。
僕あの時ゼッケン間違えましたよね。ほかの人のゼッケンを島田さんにつけちゃって。あれもまあ緊張をほぐすためだったから。
権丈泰巳さん(日本パラサインクリング連盟)
現在活躍する多くのアスリートを発掘・育成したパラサイクリングの元監督(現在監督は引退)。現在は日本パラサイクリングの広報や発信に注力している。
早く言ってくださいよ、僕逆に焦っちゃいました、違う人のゼッケンだってわかって(笑)
僕は、レースというより、ツーリングイベントで、佐渡1周を島田さんともう一人の方と3人でやったのが、結構印象深かったです。
初めてのロングライドで、小佐渡だったんですけど、トラブルもありながらも走り切ったっていう感動が。
佐渡ってまあまあ坂があるじゃないですか。
そうですねゼット坂とかいきなり来ますよね。
そこはもう調整した保険の(普段使わない軽い)ギアで(笑)
その時、ハンドサイクル初めてすぐで。
行くぞって勢いで(笑)
もう、置いてかれる置いてかれる(笑)「待ってぇー」って感じでしたね(笑)
佐渡をハンドサイクルで走ったら気持ち良さそうですね。
そうですね、景色もよくて。色々なトラブルがあったんですけどね。
トラブルってどんなことですか?
ちょっとした事故がありました(笑)
僕が島田さんのバイクに突っ込んで、吹っ飛んで行っちゃって。
自分が悪いんですけど…
止まりきれずですか?
僕がちょっと前方不注意で、松本君が後ろにいて。ちょっとバーンってぶつかっちゃった。
バンパーがなかったからそのまま飛んで行っちゃったんです。バンパーがないと、意外となだらかになっているので、そのまま乗り上げちゃうんですよね。
なるほど、バンパーがあればそこでドンッと止まってストップしたんですね。
――ちなみにここに行ってみたいなぁとか、走ってみたいとかありますか。
サイクルイベントは、あちこち出たこともあるんですけども、いろんなところに行って、エイドステーションでいろいろな地元の食べ物を食べたり、普段は一般道が走れてないので、そういう時は気持ちよく一般道を走りたいですね。
しまなみ海道のイベントとか走ったことはありますか?
知り合いはこないだ走ってましたね。動画で見たんですけど、気持ち良さそうでした。
イベントでハンドサイクルの規定ってあるんですか?
いいと言われるときと、ダメって言われる時があります。
大会の事務局に、佐渡の時も聞いてみてもらったんですが、実績があればいいんですけれど、実績がないとやっぱり「ハンドサイクルってなんだ、どんなものなんだ」と言われるところから始まります。
徐々にそういうイベントでもいろいろな自転車が走れるようになるといいですよね。
ハンドサイクルしかり、実力の差があるんですよね。お二人ならいいけれど、ちょっと受け入れるのが難しい人もいる。そこがイベント側も難しいとは思います。
運営上も道路許可の時間制限があったりするし、大会のルールに併せて走れる本人の走力や技術力が必要になったりしますよね 。
なので、パラサイクリング連盟がOK出した人であれば参加してもいいよと主催者側に言ってもらって、いろんな大会に出させてもらったりします。
松本さんはいかがですか。
さっき話題にあったしまなみは、走ってみたいと思います。あと、海外とかでもそうですけど、形があればもうレースじゃなくてツールド系があれば走ってみたいです。
しまなみはいいですよね。普通に海道を走るもの、ちょっと島をちょろちょろ見ながらゆっくり走るのも。
どうしても僕達は車いすをどうにかしなければいけないというのがあるので、それだけがちょっと大変ですね。頑張ればハンドサイクルにくくりつけていくっていうのもあるんですが…
そうか、そういうことも全体として考えての旅なんですね。
このバイクで最長の走った距離ってどのくらいですか?
それこそ霞ヶ浦かな。
170kmとか、200kmとかですかね。
一周寄り道しながら霞ヶ浦って100kmくらいですよね。2周近くですか。
僕らは霞ヶ浦大橋から上の北側を3~4周したんですね。それで200km。真冬のすごく寒い時でした。
2月とかに走った記憶があります。
風ビュービューでしたね。あれは…きつかったね、メンタル強くなったね。あれは。
僕は始めて半年でした(笑)
そんな過酷な…
もうずっとペダルを回してないと冷えちゃいますね。
指先とかどうなっちゃうんですか。
意外と指先は動かしているから大丈夫なんですが、足先が冷えますね。キンキンに冷えちゃって。
風の当たる場所として真っ先に来ますね、脚が前輪の先端ですもんね。
暑くても寒くてもキッツい記憶があります(笑)
春秋以外は乗れないぞ、みたいな。
――始めたきっかけが先輩からの紹介だったり、ツーリング仲間がいたり、とお話がありましたが、ハンドサイクルはみんなで走る文化があるんでしょうか?
そうかもしれないですね。みんなで走る方が楽しいのです。
団体スポーツとはまたちょっと違いますが、個人競技でも割とみんなで集まって練習することが多いです。時間があれば一人よりもみんなで、っていうのが多いです。
たまたま茨城はハンドサイクルをやっている人が多かったんで集まりやすかったです。4~5人はいたので。
今は結構全国にハンドサイクル利用者がいらっしゃいます。静岡でやりたいという人もいますし。直接会ったりします。
全国とはいえど人数的には全然少ないですね。競技者は全国で10人とか、15人くらいでしょうか。
全国とはいえど規模感というか、人数的には全然ですね。10人とか、15人くらいでしょうか。競技者は。
全国でプロ15人、そのうち5人が茨城ですか。
そうですね。多い時は6人が茨城で活動していました。
たぶん茨城しかいなかった時期もあったと思います。
始める人、やめる人が入れ替わったりするので。僕らが競技者をやっていた時は茨城が多かった。福岡や九州にもいますね。
車いすと、ハンドサイクル、2台の乗り物を車で運びながら佐渡島や霞ヶ浦を楽しむ、
島田さんと松本さんのアクティブなお話をおうかがいすることができました。
ハンディキャップがあっても、ハンドサイクルがあれば日本をもっと楽しめる。
これからもぜひ日本中を走って、
お2人との触れ合いを通じて様々なライダーを受け入れる土壌がもっと広がっていってほしいと改めて思いました。
- 二人乗りタンデム自転車木村和平選手・三浦生誠選手
- 通常の二輪自転車川本翔大選手・藤田征樹選手
- 三輪自転車(トライシクル)福井万葉選手
- ハンドサイクル島田一彦さん・松本亘さん